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商品撮影、合成、色補正の撮影から画像処理のスタジオOTO。商品がなくても試作品から画像加工で広告写真をお届けします
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平塚音四郎 Otoshiro Hiratsuka 本名
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| 岐阜県出身 東京工芸大学卒 (旧:東京写真大学) (社)日本写真家協会会員(JPS) (社)日本広告写真家協会会員(APA) (学)日本プリンティングアカデミー客員教授(アナログ/デジタル撮影) (社)日本印刷学会会員 パッケージ印刷会社で1982年から画像処理を学び、広告写真の第一人者、杉木直也氏に師事、商品撮影を学ぶ。現在はデジタルカメラ、MACで撮影からフォトレタッチまで行う。カメラマンでありながらフォトレタッチ、Webから印刷までのCMYK_epsの完全データまでを行う。1995年の時からデジタルカメラのテスト、RGB16ビットの色調整(RawDataという言葉がないころ)を行う。2002年にほぼ撮影はデジタルになりましたがアナログの良さ、感覚を忘れないようにしています。 |
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| 写真展のお知らせ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 趣味 名前の音がつくからかどうかわからないが、音楽、学生時代の下手な軽音楽(ピアノ、トランペット)父は尺八吹きでした。 |
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| 1995年日本写真家協会JPS公募展入選 1995年中部の写真家300人公募展名古屋選抜入選 1996年日本写真家協会JPS公募展入選 1996年中部の写真家300人公募展入選 2001年日本広告写真家協会APA公募展入選 2002年日本広告写真家協会APA公募展入選 |
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| 1983年若き頃 | イスラエル、SCITEX社レスポンスシステム | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ■CPUとハードディスク 当時でも300Mbが3台、共有ディスク、バッチ処理もできた。 |
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| ■2代目レスポンスR360(イメージャー) ツインモニタ、トラックボール、キーパットができ両手で作業がスピードアップ。トラックボールのズーミング、画面移動はとてもアナログ的でスタンプツール作業は両手で同時に動かせるため、今より早いような感じでした。タブレットもテーブル内埋め込みでキーボードもテーブルの下に引き出しのように隠れるデザインでした。最終的には、バージョン10までアップ役10年使用していました。 |
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| ■マグナスキャン 製版用ドラムスキャナで当時は億単位もするものでした。CMYKに変換する信号をRGBで取り出せるよう改良。写真の色に合わせるため、入力時は濃度数値で測定、0-255の数値になるようテーブルを作成。 |
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| ■初代レスポンスR350 モニタ、タブレット、タッチペンがあった。はじめはコードレスだったがもって帰ってしまった事件からコード付きに変更。キーボードとパネルがバラバラであった。いかにもコンピュータという姿をしていました。 |
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| 1980年より現在のデジタルのフォトレタッチ(画像処理)を行う。 まだレスポンスも日本に入る時で、マニュアルもない状況でイスラエルの技術者と日本の代理店との方とアナログフィルム(ポジ)を入力、スキャナーを独自につなげデジタル画像の制作を行う。その当時のコンピュータでも300MB のファイル(8インチの1MのFDがでたころ、パソコンのソフトがBASICではじめ)を扱い、まだMacintoshもない頃、日本でも数台しかなかったイスラエルのレスポンスシステム(当時約3億円)をいち早く導入しRGB画像合成を行う。当時から4×5写真の解像度に近づけるため、出力は1画像240MB でした。銀塩の解像度に以下に近づけるため1ミリ当たり40画素を考えていました。 当時はCMYKが主流の製版システムを改良し、ポジからRGB出力をリニアーに出力できるよう入力、RGB数値が銀塩フィルムに再現できるよう基本テーブルを作成(今でいうプロファイル)、フォトショップの先駆けのソフトを使い、レイヤーの考え方、RGB(0-255)の色処理、写真合成を行う。デジタルデータになった画像をレーザーでモノクロで分版出力し合成データをアナログの写真(ポジフィルム)の出力するシステムを初めて構築。自社でカラー現像処理も行い、最高の色再現ができるような体制を組んでいました。大手広告代理店、映画ポスターなどの合成写真制作、化粧品のRGB色数値化再現に従事する。
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| ■スーパーフォト(1980年〜トーイン)当時からフルカラーのデジタル処理 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 壁紙、特殊画像 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 写真+ブラシで絵を描く | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 写真まちがいさがし1984年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 合成/フォトレタッチ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| この当時の斬新なアイディアやデザインをしていた小木周一氏や、当時の始めた方々とも今も交流があります。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| こぼれ話:当時は、アメリカのNASAのアポロ計画が行われており、 NASAが解散後、研究者がイスラエルにもどり、月面画像の技術を軍事地図解析技術に転用、これが、1978年織物のシステムに使われ、印刷の製版システムに使われるようになった。その後アメリカでは、Macintoshが登場、フォトショップがでてきた。当時のレスポンスシステムは、今のMAC、フォトショップと操作、考え方、データ形式、圧縮の考え方は何もかわらない。当時から、ネットワーク、解像度、画像の透かし、レイヤー、パラメータによる管理(調整レイヤー、スマートレイヤー的な考え)もあった。3Dのパースも表示だけだが隠しコマンドもあった。イスラエルのソフト力がすごかった。ただ、操作がすべて英語だったのと、メモリーが非常に少ないため、座標計算と数値入力とプログラム的な言語入力的なところと時間がすごくかかるためミスをしないよう前準部、最短時間のフローなどが辛かった。今は、深く考えなくてもすぐできるが、やり直し繰り返しができるけど道筋を決めるイメージ感が大変では・・・そのあたりが、アナログのかたからみるとアート感を感じにくいのでは・・とか?いろいろ両方の考え方がわかるような気がします。絵は1枚、写真も1枚、デジタルも1画像で表現が理想? 絵があり、写真ができ、写真が絵のように描けるようになったのがデジタルかな?とか自分勝手に思っています。基本は絵心?アート?デジタルも人間がおこなうかぎりアナログ?・・・未だわかりません? |
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●1980年トーイン(株)スーパーフォトスタジオでサイテックスレスポンス300を使っての画像合成のデジタル画像処理を行う。その後、広告写真の第一人者、杉木直也氏に師事、商品撮影を学ぶ。親の介護で地元に帰り、印刷会社、サンメッセ(株)フォトーチームで撮影に従事。ソフトピアジャパンオープンでサンメッセ情報館にて美術館絵画の静止画ハイビジョンソフト制作を行う。撮影から画像の入力/色補正、製版メーカと色変換システムを専用に制作、デジタルカメラのテスト機の画像評価やRGBからCMYK変換などを行う。
●1997年スタジオOTOで西新宿でスタジオを独立。撮影からデジタル処理までを行い印刷データまで制作、完全データで納品。 商品試作から完成品を画像処理で制作。高品位デジタル画像を制作していました。 ●2006年現像所の利用とデータ納品から現在の東京江東区の南砂町駅近でデジタルを中心におこなっています。マンションスタジオですが、いかに品質を下げずに最終画像を撮影から画像処理を融合し、撮影セットの簡略、時間の削減、コストの削減を考えお客様のニーズにあわせています。 最終的な印刷データも印刷会社様に合わせ変換、解像度、色についてはCMYKの数値により印刷物のにより近いデータ処理を行っています。データだけの色修正もカメラマンの気持ちを理解し行っています。 撮影からドラムスキャナー、アナログの良さを融合し、これからもデジタル処理を行っていきたいと思います。 経験セミナー他 |
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